ふるさと物語 41 彦部史話(2)

「ふるさと物語」【41】〈昭和41年10月10日発行「広報しわ」(第135)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

彦部史話(2)

慶応二年二月、彦部村で村寄合をもって村法を決め、村役人十三人が署名している。成文化されたものとしては町内唯一のものであるのでその一部を現代文になおして紹介しよう。
一、田畑は精を出して念入りに耕作すること
一、田畑を競り売りしたり小作料を値上げしたりしないこと
一、鉈、鎌を使う程度であっても山林を伐り荒らさないこと
一、無届で原野を開墾しないこと
一、勝負ごとは一切しないこと
一、婚礼の際樽投げをしないこと
一、小品であっても他人の物を盗まないこと
一見平凡な内容にみえるが、しかし村落秩序を維持していくために、何れも重要な問題であったに違いない。このことは、違反者に対しては三十五貫文の科料を課すると同時に、家財道具一切を没収するという厳しい罰則を設けていることでもわかる。三十五貫文は米四俵に相当する額である。
耕作に精を出せと言うのは、当時年貢米の納入は村の共同責任であったから、一人でもなまけ者があればそれだけ村民の負担が重くなるためである。また同村は薪取りの入会山が少なかったため、佐比内村の水上山等に侵入して盗伐をする者があり、しばしば争いの種となっていた。山林荒しの禁止はこのためであろう。バクチもかなり流行していたらしい。同村の助吉という者が、日詰でバクチを打って検挙され、五人組に迷惑をかけたという記録がある。
勝負事禁止の背景にはこのような事情があったものと思われる。婚礼の際の樽投げやツトッコ投げも盛んであったらしく、既にその弊害が認められている。田畑の競り売りや小作料の値上げも、村民にとっては極めて大きな問題であった。
---佐藤 正雄(故人)---

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