ふるさと物語 61 『4寂静山蓮華寺(赤沢)』廃寺をたずねて(2)

「ふるさと物語」【61】〈昭和44年5月10日発行「広報しわ」(第166)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『4 寂静山蓮華寺(赤沢)』廃寺をたずねて(2)

薬師堂として赤沢川南方の山寄りにあったと伝えられています。この近くには、阿弥陀堂跡と称される遺跡があり、礎石六個と少なくとも室町時代は下らないとみられる古鱒四基が残されていますがおそらくこれは蓮華寺と関係のあるものでしょう。とすれば、かなり古い時代の寺院であったことになりますが、くわしいことは知られていません。「御領分社堂」という書物には、静寂山蓮花寺といったと書いてありますが、これにはいささか疑問があります。おそらく、白山社の別当寺であったことを誤って伝えたものでしょう。いずれ、この寺を中心として、この地に仏教文化の栄えたことだけは、ほぼ疑いがありません。
5 清浄海(長岡)
彦部行岸寺の末寺として、宝暦から安永のころに存在していたことは確ですが、その外のことは一切わかられていません。修験道(山伏)寺院としての性格が強かったものと思われます。
6 安住山誓国寺(犬吠森)
岩ノ沢にありました。升沢極楽寺の末寺でしたが、江戸時代の末期には、日詰来迎寺の預り寺として同寺の住職が兼務で管理にあたっていました。本堂と庫裏を合わせて四間四方と極めて小さな寺でした。慶応年間に火災にあいましたが、再興できないまま廃寺となってしまいました。
7 念仏堂(星山)
盛岡大泉寺の末寺というだけで、由緒はもとより位置さえもはっきりしません。宝暦から安永の頃には存在していました。
8 法竜山正連寺(二日町)
下町の北東裏にありました。忠海という人によって開山されましたが、その年代は不明です。
真言宗の行人派に属し、盛岡明王院の支配下にありました。祈祷が主であったのでしょう。
宝暦から安永の頃には存在しましたが、江戸時代の末期までの間に廃寺となりました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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