ふるさと物語 62 『9片山寺(二日町)』廃寺をたずねて(3)

「ふるさと物語」【62】〈昭和44年6月10日発行「広報しわ」(第167)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『9片山寺(二日町)』廃寺をたずねて(3)

高水寺(既述)の盛岡移転後、その後身として建てられたと伝えられていますが、くわしいことは知られていません。天和四年(1684)に、寺池を片山屋敷(走湯神社の南側)と交換して再建されました。盛岡高水寺の末寺で、大槻観音堂の別当をつとめていました。廃寺年代は不明です。
10 慈雲永光寺(二日町)
万治元年(1658)、円什(えんじゅう)(近江の国彦根の出身、俗姓は永井)によって本誓寺の北側に開山されましたが、本誓寺は盛岡本誓寺の掛所(支院)として無住であったころから代々この寺の寺務をつかさどってきました。それが、明治十七年に至って本誓寺と合併することになったため、山寺号は下閉伊郡田代の庵寺にゆずり、本堂は不動の誓岸寺にゆずって廃寺となりました。
11 行蓮社(二日町)
盛岡光台寺の末寺として善念寺南方の丘上にありました。弘化三年(1846)の村絵図面にみえていましたが、創立年代も廃寺年代も不明です。
12 岩光山能勝寺(日詰)
南部重直(二八代)の妾勝山(かつやま)の本領によって創建された寺です。勝山は仏教に対する信仰のあつい人で、盛岡に大勝寺を再興すると共に領内に新寺七ヶ寺を建立しました。これらは、いずれも寺号に「勝」の字が用いられたところから世に八勝寺と称されましたが、能勝寺もその一つです。勝山の入国は寛永十年(1633)でしたから、それから間もないころに建てられたものでしょう。来迎寺の西側にありましたが、安永七年(1778)の大火で焼失したまま廃寺となりました。
13 蒲沢庵(日詰)
日詰来迎寺の末寺で鍛冶町北端の東側にありましたが、これも安永七年の大火で焼失したまま廃寺となりました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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