ふるさと物語 64 『20新山寺(土舘)』廃寺をたずねて(5)

「ふるさと物語」【64】〈昭和44年8月10日発行「広報しわ」(第169)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『20 新山寺(土舘)』廃寺をたずねて(5)

新山寺は、現在の新山神社境内にありました。去る六月の発掘調査によって、その礎石が確認されています。
この寺は、天仁二年(1109)に平泉の藤原氏が祈願所として建立したと伝えられています。その真偽は別として、この地からは平安時代から鎌倉時代にかけての古鏡や掛仏が出土していますから、平泉藤原氏のころから存在していたことは間違いないでしょう。
新山(深山)の名はここ以外にもたくさんありますが、これは、有名な神仏を観請して新しくたてられた寺社のことを意味するものです。
新山寺の場合は、羽黒山系統の山伏によって開かれたのかもしれません。それを後になって平泉藤原氏かその一族である樋爪氏によって再興されたことも考えられましょう。
中世のころには、方々に坊舎があって、多くの僧兵が住んでいたといわれます。それを裏づけるように、僧兵用のかぶとも出土しています。
近世になると、南部藩主の信仰が厚く、元和二年には土舘に寺領として二十石を給与されましたが、間もなく盛岡へ移転を命ぜられて廃寺となりました。但し鎮守の権現社だけは残されて地方民の信仰を集めました。
後にこの地は八戸領に編入されましたが、新山権現社だけは盛岡領の飛地として残され、宮手村に存続しました。その時に築かれた境塚が現在も残っています。
21 源勝寺(土舘)
盛岡源勝寺の前身で、現在寺屋敷と呼ばれている所にあったといわれています。斯波氏の菩提寺であったと伝えられていますが、詳しいことは知られていません。
新山寺と同様に元和二年には寺領二十石を給与され、後に盛岡の北山に移転を命ぜられました。
付記
この外、廃寺として知られるものに彦部の本誓寺や宮手の安国寺がありますが、これについては既に述べたので省略します。
---佐藤 正雄(故人)---

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