ふるさと物語 72 『潟沼の主』昔話と伝説(3)

「ふるさと物語」【72】〈昭和45年5月10日発行「広報しわ」(第178)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『潟沼の主』昔話と伝説(3)

片寄の西方山中に潟沼とよぶ小さな沼があります。そしてそのほとりには潟大明神の小祠がまつられています。この社は、古くから霊験あらたかな水神として里の人々の信仰を集めてきましたがその縁起としてつぎの物語りが伝えられています。
むかし、大旱ばつの年、潟沼の水はみるみる減っていきました。十二神部落の百姓たちは、この沼から流れ出る大沢の水を利用して水田を作っていましたが、一帯の稲作は生気を失って枯死寸前の危機に追い込まれました。
この十二神部落には、白旗ノ作兵衛という大百姓がありました。
作兵衛にはお駒とよぶ一人娘がありましたが、この窮状をみた彼女は、みずから潟沼の主となって部落民を救おうと決心、ある晩のうしみつどき、あし毛の馬(白馬)にまたがって、しずしずと潟沼へ入水していきました。
翌朝、部落の人々が外に出てみると、みわたす限りの水田に満々と水がたたえられているではありませんか。
部落の人々はこれを徳とし、お駒を潟沼の守り神としてまつりました。これが潟大明神のおこりといわれています。
潟沼の主となったお駒は、その後滝名川の大滝の主と夫婦になりました。潟沼か大滝のいずれかにもみぬかを投げ入れると、他の一方に浮かび出るといわれています。
お駒は世にまれな美人であったが、ろくろ首であったと伝えられています。そのため行末をはかなんで入水自殺したのかも知れません。また、お駒が入水してから、潟沼の雑魚はめくらになったともいわれています。
白旗家は、その後も代々栄えましたが、ある時、熊野の某という怪力者がたきぎを山ほど背負って白旗の台所をすどおりしてから、急速に家運が傾きはじめたと伝えられます。一説には、下久保の水田から稲を運搬する際、道がぬかって難渋したので、道路一面に稲をしいて馬を歩かせたが、それ以来落目にむかったともいわれています。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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