ふるさと物語 75 『錦戸太郎の墓』昔話と伝説(6)

「ふるさと物語」【75】〈昭和45年8月10日発行「広報しわ」(第181)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『錦戸太郎の墓』昔話と伝説(6)

小屋敷地内の稲荷街道ばたに錦戸太郎頼衡の墓と伝えられる角桂の自然石が立っています。その頂部は斜に切断されていますが、これについて次のような話が伝えられています。
頼衡は平泉藤原氏の三代目秀衡の六男でしたが、父の死後、源義経に通じたころから、兄泰衡との間に不和を生じるようになりました。そのため身に危険を感じた頼衡は、ひそかに平泉を脱出して北方へ逃走しましたが、東根山麓まできた時、追手のために捕えられて殺害されてしまいました。時に頼衡は十六歳の若年でした。
これをあわれんだ里人たちは、現地に遺骸を葬ってねんごろに供養し、その上に自然石を立てて墓印としました。ところが、これを聞いた平泉の泰衡は、烈火のように怒って直ちに墓石を取りはらうように命じました。里人たちは、やむなくそれを取りのぞいて近くのやぶへ捨ててしまいました。
それから間もないある晩のこと、当時奥羽きっての強力者として有名であった由利八郎という武士がこの地に通りかかりましたが、かの墓石を捨てたあたりまでくると、草むらの中からあやしげな光り物がポーとうかんできました。八郎は「狐狸のしわざに相違ない」と思いながら、腰の大刀をぬいてはげしくこれにきりつけました。そのとたん「カチン」という音がしたと思うと、光り物はユラユラとゆれながら飛び出しました。
八郎はその後を追いかけていきましたが錦戸太郎の墓までくるとスーと消えてなくなりました。気がつくと八郎の体は汗でビッショリでした。そして急に疲れが襲ってきました。
翌朝、この話を聞いて里人たちが墓のところにきてみると、取りのぞいたはずの墓石がもとの通りに立っているではありませんか。そして、よくみると、頂部が斜に切断されていました。
里人たちは「八郎の怪力にたよって墓石をもどしてもらったのだろう」とうわさをしました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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