ふるさと物語 3 『しわ』の地名考/紫波町

ふるさと物語 3 『しわ』の地名考/紫波町

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

「ふるさと物語(3)」〈昭和37年5月5日発行「広報しわ」(第82号)掲載〉

『しわ』の地名考

前の二項で『しわ』の地名に志波や斯波などの文字を当てたが、これによってもわかるように、現在紫波の文字で表されているふる里の地名も、時代によって志波・子波・斯波・斯和・志波(再)・斯波(再)・志和・紫波などと文字の使い方がさまざまであった。
それでは、これらの文字はどのように音読するのが正しいのであろうか。斯和・志和を『しわ』と読むことには問題はないが、『波』の音は『は』であるから、これを『わ』と読むことは変則である。では一体本来のよび方は『しは』なのだろうか、それとも『しわ』なのであろうか。結論をいうならば、エゾといわれたころの本来のよび方は『しは』であったが、ある時代に或ことが原因で一部の人たちに『しわ』ともよばれるようになり、それが江戸期のころになると志和の文字で表されるように一般のよび方に変ってきたものと考える。(紙面の関係上、詳細は他の機会にゆずる。)現在、用いている紫波の文字は、江戸期においても幾等か散見されるが、一般に用いられるようになったのは明治以後である。
この紫波の文字に関連して、次のような伝えがある。即ち、四百年程前のころ、高水寺城(城山)の近くの北上川の川底に赤い大石があったが、そのために打ち寄せる川波が紫色をなしていた。ある時、城主の斯波孫三郎がこれをみて、これはめでたいしるしだとして『今日よりは、紫波となづけんこの村の、川に立つ波むらさきに似て』と歌ったところから、それまで用いていた斯波の文字を紫波に改めたというのである。勿論事実かどうかは急にきめがたいことである。
『しは』の語源については、過去において、アイヌ語のシワカウシュ(大川)から類推しようとする考え方があったが、今日では殆ど問題にされていない。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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