ふるさと物語 15 郡山/紫波町

ふるさと物語 15 郡山/紫波町

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

「ふるさと物語」〈昭和38年8月5日発行「広報しわ」(第97号)〉

郡山

郡山というのは日詰と二日町の上町・下町を合せた通称で、今では忘れられようとしている地名である。その名のおこりについては二説があるが、昔郡家という役所があったところから名づけられたとするのが正しいであろう。
斯波氏は今の城山に高水寺城を築いて本郡を治めていたが、この頃城下には常勤武士団の住宅が集落をなしていたであろうし、二日町・十日市などの地名からみて定期的に市日の開かれていたことも考えられる。従ってさきに述べた高水寺の仏教文化と共に、当時郡山は本郡における政治・経済・文化の中心であった。
あとで盛岡へ本拠を移した三戸の南部氏も、最初は郡山城を本城とする意図をもっていた。もしこれが実現したら郡山を中心として城下町が開けていたことであろう。
奥州街道が整備されるようになると郡山は宿場町として栄えるようになった。安永の頃には郡山三町の戸数三九五戸のうち七六戸が旅館であった。西鶴の旅行記には「郡山は人情の深いところで紅白粉をつけ兵庫まげに結った卑しからぬ女が小手まねきをして客をよんでいた」と記されている上町には郡山代官所と共に年貢米を納める倉庫があった。
−−佐藤 正雄(故人)−−−

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