ふるさと物語 76 『キギスと夜泣き石』昔話と伝説(7)/紫波町

ふるさと物語 76 『キギスと夜泣き石』昔話と伝説(7)/紫波町

「ふるさと物語」【76】〈昭和45年9月10日発行「広報しわ」(第182)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『キギスと夜泣き石』昔話と伝説(7)

むかし、桜町の大坪川辺にキギス(キジの古語)という白拍子(遊女)が住んでいました。いなかにはまれな美人で、いろんな芸にもすぐれた女でした。
そのため、源頼朝が陣ガ丘に露営した際には、酒席に召されて舞いを演じましたが、その色香はたちまち頼朝の心をとらえるところとなりました。そして、一夜のおとぎが縁となって、頼朝のたねを宿す身となりました。
やがてキギスは玉のような男の子を生み落としました。
これを聞いた鎌倉の頼朝は、妻政子のしっとを恐れる余り、家来の一人をよんでその子をなきものにするように命じました。
この地に下った頼朝の家来は、陰に乗じてくだんの赤子をさらい出しました。そして、大坪川の淵に投げて殺そうとしましたが、そのとたん、急に赤子が重くなって腕の中からすり落ちてしまいました。これは変だと思って気をつけてみると、赤子は腰ぐらいもある大石となって横たわっているではありませんか。
それからというもの、真夜中になると、この大石のあたりから「ホギャー、ホギャー」と赤子の泣き声がきこえました。そこで、里人たちは、だれいうとなく、この石のことを「夜泣石」とよぶようになりました。
後世になって、この物語りをあわれと感じた付近の人々は、くだんの石にお地蔵さんのお姿を刻んで供養しましたが、これがいつともなく「弘法の爪書地蔵」とよばれて、里人のあつい信仰を受けるようになりました。(日詰の西裏に現存しています)
また、別の伝説によると、キギスの子は首尾よく生長して頼朝から紫波群一帯を拝領したといい、これが斯波氏の祖先だともいわれています。
なお、「キギス」の住んでいたあたりの橋を「キギスの橋」とよんでいましたが、それがいつの間にか「キリギリスの橋」に変わってしまいました。(現在は国道の舗装伴って橋の形はありません。)
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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