ふるさと物語 117 『政治にたずさわる人々-民選戸長と官選戸長-』近代人物脈(2)/紫波町

「ふるさと物語」【117】〈昭和49年4月10日発行「広報しわ」(第225)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『政治にたずさわる人々-民選戸長と官選戸長-』近代人物脈(2)

明治十二年一月には、一ないし数ヵ村をもって単位行政区域を構成し、それぞれの行政区に戸長を置くことになりました。その選任方法は、部内の町村において選出した者を県が任命するという形式のものでしたが、選挙人は満二十歳以上の男子でその町村に本籍を有する者とし、被選挙人は満二十歳以上の男子でその県に本籍を有するものとされています。
この民選戸長の制度は明治十七年まで続きましたが、その間、当地域の戸長として就任した人には、日詰新田外二ヵ村(平沢・桜町)の関徳次郎、南日詰外二ヵ村(北日詰・犬渕)の大沼恒八と吉田貞治、片寄村の畠山金三郎と畠山金四郎、高水寺外三ヵ村(二日町新田・中島・陣ヶ岡)の大崎順作、小屋敷外三ヵ村(上松本・南伝法寺・吉水)の田鎖春治と武田鶴蔵、上平沢外二ヵ村(土舘・稲藤)の村井友治郎と竹田権八、宮手外二ヵ村(升沢・下松本)の生内静孝と一方井貫一と坂本万蔵、江柄外二ヵ村(北沢・栃内)の福田要作、東長岡外一ヵ村(西長岡)の藤原理八、小笠原元明・稲垣春松・吉田古淮、山屋村の平舘喜惣治、犬吠森外一ヵ村(草刈)の佐羽内明生と佐藤次明、大巻村外一ヵ村(星山)の野村長四郎、彦部村の袰綿茂吉と橋本喜代治、佐比内の金田一啓助、赤沢外二ヵ村(紫野・船久保)の梅沢勘四郎と工藤新八郎と福山茂吉、遠山外一ヵ村(北田)の遠山緑と阿部米蔵などがあります。このうち田鎖・一方井・佐羽内の諸氏は部外からの選任だったのですが、その他はいずれも地元の有識者の人たちです。
明治十七年八月になると、戸長の選挙制を廃止して官選に改められました。また、それと同時に行政区の再編成も行なわれて、戸長役場の管轄範囲が拡大されるようになりました。こうして、明治二十二年の町村制実施にいたるわけですが、その間の戸長としては、日詰新田外九ヵ村では瀬川長蔵と安村政民、上平沢外六ヵ村では中島貞と対島景福、南伝法寺外九ヵ村では島森春寿と後藤祐之、江柄外七ヵ村では関徳次郎と坂本富太、星山外六ヵ村では大里貫一、赤沢外五ヵ村では石川昌蔵が就任しています。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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