ふるさと物語 137 『別録 よみがえる遺跡2-上平沢新田遺跡-』/紫波町

「ふるさと物語」【137】〈昭和50年12月10日発行「広報しわ」(第245)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『別録 よみがえる遺跡2-上平沢新田遺跡-』

この遺跡は、滝石川によって形成された段丘(比高約一M)の南縁部に立地しているものであり、東北縦貫道路の用地となるところから発掘調査が実施されたものであります。
その結果、たてあな住居跡十二棟と掘立て柱の建物跡一棟が発見された外、多数の遺構や遺物が検出されました。
そのうち、たてあなの住居跡は、九世紀末から十一世紀前半にかかると推定されるものですし、掘立て柱の建物跡もこの期の公算が強いように思われます。九世紀の末から十一世紀の前半といえば、この地方の歴史が文献の上では明らかでない時代であり、いうならばなぞに包まれた時代でありますが、その点、この遺跡は、その空白の一部をうずめてくれるものとして注目されべきものであります。すなわち、直接的には、低温地に面して集落の形成されていたことが知られますし、間接的には、それをとおして水田開発の進行をうかがうことができるのです。
また、遺物を時代別にみますと、縄文時代・弥生時代・平安時代の三つの時代のものが出土しています。このことは、古い時代からこの地が生活の適地として使用されてきたことを意味するものです。
遺物の中でもっとも多いのは、ハジ器・スエ器と呼ばれる土器ですが、これは前記のたてあな住店や掘立て柱住居に住んでいた人々の残してくれたもので、いずれもロクロを使って作られています。
弥生式土器は、比較的古い型式のもので、小量の破片しか発見されていませんが、しかし、この土器を使った人々は、すでにイネ作りの技術をもっていたというのが定説になっていますから、その意味において注目されるべきものであります。従来、当地域からは、あまり弥生式土器が発見されていませんでしたが、最近になって、各地から出土が報告されるようになりました。このことは、中央政府の手によって志波城を中心にこの地方の本格的な水田開発が進められる以前から、すでにイネ作りの技術が導入されていたことを想定させるものであり、上平沢新田遺跡もまたその一端を物語っているのかも知れません。


---佐藤 正雄(故人)---

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