ふるさと物語 145 『産業を振興する人々 -藤沼市五郎-』 近代人物脈 (24)/紫波町

「ふるさと物語」【145】〈昭和51年8月10日発行「広報しわ」(第251)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『産業を振興する人々 -藤沼市五郎-』 近代人物脈 (24)

本町は、いわゆる南部杜氏(なんぶとじ)の出どころとして有名ですが、これにいたるまでの歩みのなかで、大きな足跡を残した先人のひとりに北日詰の藤沼市五郎があります。
その市五郎は、天保十二年(または天保九年)五月、市之丞の長男として北日詰村の野岸家に生まれました。彼の生家は、藤沼一族の総本家として村内でも屈指の家柄でしたがしかし、どうしたわけか、市五郎が生まれたころには、家運がかなり傾きかけていたもののようです。そのためでしょうか。十八歳の時には、日詰の井筒屋に奉公に出ていますが、これが彼をして酒造の道を歩ませる転機となりました。といいますのは、この井筒屋では呉服・雑貨類の販売の外に酒造業をも営んでいたからです。
今から三百年ほど前のこの地方には、まだ清酒を造る技術がありませんでしたが、それを最初に導入したのは、日詰の井筒屋とその本家にあたる上平沢の近江屋でした。いずれも、関西から杜氏を招いて醸造したのが始まりでした。ところが、その技術はおいおいと地元の人々にも伝授されるようになり、やがて、地元杜氏を生むまでになりました。市五郎も、またその流れの中の一人として登場することになるのです。
彼は、これからほぼ五十年間(明治三十八年まで)にわたって井筒屋に勤務することになりますが、四十歳前後には、すでに一人杜氏として重きをなしていたもののようです。そして、五十歳を過ぎるころには、門弟の数も六名をかぞえるほどになりました。本町内の人としては、北日詰の藤沼寛蔵、片寄の羽生長助、長岡の細川林蔵があります。また、これらの門弟から分かれた孫弟子は、二十五名の多きに達しました。そして、これらの人々は、いずれも、後日南部杜氏として各地で活躍していますが、このことからしても、市五郎の残した足跡は、高く評価されべきものでありましょう。
井筒屋(当時は石鳥谷)では、市五郎の退職に当たり、蓮如上人の真筆一幅を贈って労をねぎらっています。大正三年九月二十六日、七十七歳でなくなられました。

---佐藤 正雄(故人)---
 

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