ふるさと物語 146 『産業を振興する人々 -藤原嘉藤治-』 近代人物脈 (25)/紫波町

「ふるさと物語」【146】〈昭和51年9月10日発行「広報しわ」(第252)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『産業を振興する人々 -藤原嘉藤治-』 近代人物脈 (25)

藤原嘉藤治は、明治二十九年二月、嘉四郎の五男として小屋敷の鍛治屋敷家に生まれました。
初め教育を志して岩手県師範学校に学び、大正五年に同校を卒業後は小学校訓導や花巻高等女学校教諭(音楽担当)などを歴任しましたが、その花巻高等女学校在職中(十三年間)に、かの宮沢賢治と知り合って親交を深める仲となりました。その二人の結びつきが、後に彼をして農村指導者の道を歩ませる素因をなしたのです。
その第一歩は、農村の青少年指導でした。すなわち、昭和十年に教職を辞して上京すると、請われて大日本青少年団本部(日本青年館)に勤務することになり、専門の音楽を通して農村青少年の指導に当たることになったのです。そして、同十五年には、青少年向き図書として宮沢賢治の詩集「農民とともに」を編集しています。
こうしている間に、彼の心に強く芽ばえたのは、農民として直接大地に生きることへの願望でした。そのため、武者小路実篤の主宰する「新しき村」への移住を決意したこともありますが、定員の関係などから実現をみないでしまいました。しかし、間もなくその転機がやってきました。終戦がそれでありました。昭和二十年十一月、決然として郷里に帰った彼は、東根山麓に新天地を求めて力強く開拓のくわを打ち込んだのです。
ところで、この開拓地は、扇状地という悪条件の上に立地していたから、その前途はきわめてきびしいものがありました。そこで彼は、これを克服するためには開拓者の協同化が必要であることを痛感し、自ら東根開拓組合を結成して、その組合長に選任されました。そして、補助金の獲得、営農資金の確保、技術の導入、自給自足態勢の確立など、諸般にわたって献身的な努力を払われました。二十二戸の入植者中脱落者がわずか四戸にとどまったのは、彼の卓越した指導の成果とみるべきでありましょう。また彼は、県の開拓者連盟委員長や開拓連合会理事及び東北開拓協議会長としても大きな足跡を残されました。
昭和四十七年には、これらの功績が認められて勲五等に叙せられ、瑞宝章を授与されました。

---佐藤 正雄(故人)---

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