ふるさと物語 149 『産業を振興する人々 -小野文真-』 近代人物脈 (28)/紫波町

「ふるさと物語」【149】〈昭和51年12月10日発行「広報しわ」(第255)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『産業を振興する人々 -小野文真-』 近代人物脈 (28)

小野文真は、三十有余年にわたって終始一貫酪農振興のために尽された方であり、彼を知る多くの人々から「牛の神さま」のニック・ネームで親しまれかつ尊敬された人であります。
その文真は、明治三十五年四月、浅吉の長男として星山の小野家に生まれました。
大正十年に盛岡農学校の獣医科を卒業した後は、岩手県技手に任用され、さらに県立六原青年道場の畜産主任に起用されましたが、昭和十年にはそれを辞して三井報恩会の農村更生指導員となり、母村彦部村の経済更生運動の第一線に立たれました。そして、その後も、日詰農学校教諭・彦部村農業会長・全国農民懇談会理事兼講師・全国農民連合会理事兼専門委員等を歴任してその道でも活躍するところが少なくありませんでした。
その彼が牛の飼育と取り組むようになったのは、大正十年にショートホーンの子牛二頭を購入したのがそもそもの始まりでした。次いで同十二年には、酪農の将来性に着目して、千葉県三里塚の御料牧場からホルスタインのオス・メス各一頭を購入し、その繁殖に乗り出しましたが、やがて郷里に落着くようになると、水田一・二haと畑一・八haを基盤として本格的な酪農経営に着手するようになりました。しかして、その最もねらいとするところは、乳牛の品種改良にありました。そのため、千葉・福島・北海道・静岡等から優秀な種牛を導入して改良を図ったり、同志と南部ホルスタイン協会を設立してホルスタイン中心に系統繁殖を企てるなどしました。また、雑種牛の有利性に着目して、ショートホーンによる雑種育成やホルスタインの系統間の雑種強勢とも取り組みました。そのため、一時は、十一系統三十七頭の牛を飼育するほどの盛況振りでした。

彼は、このかたわら、体験をもとにしての酪農指導にも当たられましたが、戦後、この地方に酪農が急速に普及をみるに至った背景には、その指導によるところがきわめて大きいものがありました。
昭和三十年には、これらの事績が認められて、黄綬褒章が授与されています。
四十五年二月十九日、往診の途中交通事故で他界されました。

---佐藤 正雄(故人)---

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