ふるさと物語 151 『産業を振興する人々』 近代人物脈 (30)/紫波町

「ふるさと物語」【151】〈昭和52年2月10日発行「広報しわ」(第257)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『産業を振興する人々』 近代人物脈 (30)

18、太田代喜右衛門

大巻の人。天保九年生まれ。明治の初年、北海道に渡って開拓の仕事に従事しましたが、帰郷後は農事に専念してその改良につくされました。中でも特筆されることは、水田の秋落ちを防ぐ方法として、他にさきがけて客土法をとりいれたことです。冬の間に、山の赤土や畑の心土をそりで運んだようですが、その効果が認められて次第に他にも普及するようになりました。明治三十九年には、農事功労者として大日本農会総裁から名誉賞状を授与されています。大正九年、八十二歳で没。

19、佐々木孫八
犬吠森の人。明治四年生まれ。水稲の冷害を防ぐ方法として、播種期を早めて早期に収穫することを案出し、多年にわたって実験の結果、実効をあげられました。大正十五年、五十五歳で没。


20、田畑治助
星山の人。明治七年生まれ。農事の改良を志して、自ら試作地を設けたり、麦奴の予防法(冷水温湯浸法)や種子の塩水選をとりいれるなどしましたが、特に注目されることは、明治の末ごろ、率先して馬耕の方法を導入すると共に、先進地を視察するなどして技術の向上と普及に努めたことです。その結果、大正の初年には彦部村の大部分で馬耕が行われるようになりました。また、麦たばね器(麦の大たばをたばねる器具)を考案してその利用をすすめるなどしましたが、大正十年には、これらの事績が認められて紫波郡長から表彰されています。昭和二十六年七十七歳で没。

21、阿部友治郎
星山の人。明治十年生まれ。岩手県農事講習所を修了して江刺郡農業技手に任用されましたが、後に招かれて紫波郡農業技手となり、郡制廃止後は紫波郡農会技師として農事指導のために活躍されました。徳田米が東京市場で名声を博するようになったのも、乙部地方にリンゴの栽培が盛んになったのも共に友治郎の指導によるところが大でありました。また、昭和九年に郷土の彦部村が三井報恩会より経済更生指導村に指定されると、その指導にも参画されるなど、多くの業績を残されました。昭和二十二年、七十歳で没

---佐藤 正雄(故人)---

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