ふるさと物語 155 『産業を振興する人々』 近代人物脈 (34)/紫波町

「ふるさと物語」【155】〈昭和52年6月10日発行「広報しわ」(第261)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『産業を振興する人々』 近代人物脈 (34)

30、熊谷源三郎
稗貫郡石鳥谷町の大瀬川地内に「七百円山」と呼ばれる片寄の人々の共有山(実面積一三一町歩)がありますが、これは、明治十年に漆立家の熊谷源三郎(安政四~大正二)が先立ちとなって設定したものでした。次に、それに至るまでの概要について述べることにしましょう。
そもそも、この林野は、古くは片寄を含めて大瀬川等十二か村の入会採草地として共同利用されてきたものでした。ところが、文化三年(一八〇六)になると、稗貫郡側では、採草地が窮屈になってきたことを理由として、片寄村の入会いを拒否してきたのです。そのため大騒動となりましたが、結局は、片寄方の敗北に終わってしまいました。それが、どのような経緯によるものか、明治初年になると、くだんの採草地は、花巻の梅津倉之助の所有地となっていました。それを片寄の共有山として確保するために、熊谷源三郎が中心となって七百円で購入したのが七百円山の始まりでした。漆立家は、藩政時代には代々志和通の馬役人(馬宿)を勤めてきた家柄でしたから、その関係で先に立たれたものと思われます。


31、熊谷丒松
紫波郡の西部地区では、戦前まで、農家の副業としてイグサの栽培とゴザや畳表の製造が行われていました。それがいつごろから始まったかは定かでありませんが、南部藩では付加税の一部としてイグサと畳表を物納させた歴史がありますので、かなり以前から行われていたものと思われます。
この特産物であるゴザや畳表の商品化を促進するために、仲買人として活躍した人に南伝法寺の熊谷丒松(慶応二~昭和一七)があります。買入れ範囲は、旧水分・不動の両村から平沢や土館にまで及びましたが、取引きが良心的であったために、農家の信用もあつく、これが生産意欲を高める結果ともなりました。集荷した製品は「紫波表」の名で盛岡・花巻・黒沢尻・金ヶ崎・水沢・大迫などの業者に販売されました。
なお、この紫波表は、戦後になると、機械織りの安価な岡山物に圧せられて、惜しくも姿を消してしまいました。

---佐藤 正雄(故人)---

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