ふるさと物語 170 『文化を振興する人々-野村益太郎ー』 近代人物脈 (49)/紫波町

「ふるさと物語」【170】〈昭和53年9月10日発行「広報しわ」(第278)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『文化を振興する人々-野村益太郎ー』 近代人物脈 (49)

野村益太郎(えきたろう)は、動物学者として特にミミズの分類と貝類の生態の研究で学界に貢献された方です。
その益太郎は、明治十九年六月、亀治の長男として日詰の野村屋に生まれましたが、地元の日詰尋常小学校(明治二五年入学)と紫波高等小学校を卒業した後、盛岡中学校・第一高等学校を経て東京帝国大学理科大学動物学科に進み、明治四十四年七月に同校を卒業されました。そして、同年十月には三重県志摩郡の御木本真珠養殖場に就職しましたが、三年後にはここを辞して教職の道を選ばれ、宮城県立佐沼中学校を振り出しに岩手県立福岡中学校・北海道帝国大学(大正七~一一)・東北帝国大学(大正一一~昭和一八)と転じながら教育と学究一筋の道を歩まれました。
この間、東北帝国大学在職中の大正十一年十二月から同十三年五月までは、在外研究員として外国留学(主としてハーバード大学)の機会に恵まれました。そして、帰朝後の大正十五年には、ミミズの趨光性の研究が認められて理学博士の学位が授与されました。これは、ミミズに各種の光をあてるとそれに応じて一定の反応を示すことを究明したもので、当時としては画期的な研究として学界の注目をあびました。また、彼の発見した糸ミミズは、学名をハツタイ・ノムラと命名されて、動物発生学上の重要な発見とされています。このようなことから、広く「ミミズ博士」の名で親しまれました。その一方では、貝類の生育がせい息環境によって左右されることに着目し、その相関関係を数理的(関数を用いた)に究明して発表されましたが、これはわが国における動物生態学の草分として高く評価されています。この外、東北帝国大学浅虫臨海実験所の創設にも尽力されて、後にはその所長にもなられました。主な著書としては『博物通論』の外に中等学校の動物教科書二冊(開成館発行)が刊行されていますが、特に教科書の方はベストセーラー級であったといわれています。
昭和十八年九月、五十八歳で死亡。従三位勲二等に叙せられ、瑞宝章を授与されました。

---佐藤 正雄(故人)---

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