ふるさと物語 176『文化を振興する人々-福田裕(ゆたか)ー』 近代人物脈 (55)/紫波町

「ふるさと物語」【176】〈昭和54年3月10日発行「広報しわ」(第284)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『文化を振興する人々-福田裕(ゆたか)ー』 近代人物脈 (55)

岩手の植物研究史に登場してくる人々の中で、昭和初期の新進植物研究家として名をなしている人に山屋出身の福田裕(明治三七年生まれ)があります。須川長之助に続くその道の人として、郷土史上にも生きる人物のひとりです。
福田裕は、盛岡農学校(大正11年卒)から岩手県師範学校(大正14年卒)へと学んで教職の道に進まれた方ですが、そのころ、盛岡農学校には千葉金作、岩手県師範学校には鳥羽源蔵と名だたる植物研究者が在職していましたから、彼の植物研究に対する志しは、その影響のもとに育ったとみてよいのでしょう。大正十五年には、再び師節学校にもどって専攻科に入学し、鳥羽源蔵のもとで植物学を専攻しました。植物の研究と本格的に取り組むようになったのは、このころからであったもののようです。
明治から大正にかけての本県の植物研究は、大部分が他県人の手にゆだねられている状況でした。ところが、昭和初期になるとにわかに県内人の活躍がめだつようになり、これまでみられなかった研究誌も刊行されるようになりました。福田は、この発展期の中でもさきがけをなしたひとりであり、彼自身も昭和七年には騰写ずりの研究誌「コケモモ」を発刊しています。その研究成果はコケモモを初め数種の研究誌に発表され、現在知られるだけでも二十二篇を数えていますが、なかでも盛岡地方のサクラの研究が高く評価されています。また、フクダザサ・オオクサイザクラ・イワテシオガマ・ナンコハモミジなど数種の新種植物も発見しています。
このように多くの実績をあげて将来に大きな期待を寄せられていましたが、昭和十三年四月、惜しくも急性肺炎に冒されて急になくなられました。行年三十五歳。墓地は山屋公葬場にあります。
なお、遺品の植物標本と文献は遺族から最終勤務校の城南小学校に寄贈され、同校ではこれを「福田文庫」として保管していましたが、戦時中に疎開したままゆくえ不明になったといわれます。
○お願い-学術・文芸・美術・芸能関係で活躍された郷土人をご紹介ください。ただし、原則として故人に限ります。-筆者

---佐藤 正雄(故人)---

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