ふるさと物語 194 『教育をする人々(11)』 近代人物脈 (73)/紫波町

「ふるさと物語」【194】〈昭和55年9月10日発行「広報しわ」(第302)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『教育をする人々(11)』 近代人物脈 (73)

藤井正秀(明治四二~昭和四七)は桜町の人。昭和四年に盛岡中学校を卒業後、胆沢郡六原小学校の代用教員を振出しに新堀・彦部・上平沢・片寄の各小学校ないし国民学校訓導を勤務し、昭和二十七年に至って下閉伊郡の鳥越小学校長に任用されました。それより、同郡の浜岩泉小・和井内小・蟇目中・箱石小の各学校長を歴任し、片寄小学校長を最後として昭和四十四年に退職されました。
佐々木由太郎(明治四四~昭和四九)は佐比内の人。昭和五年に岩手県師範学校講習科を修了してから長岡・江刺家・山内・長興寺(以上三校は九戸郡)・中野(盛岡)・彦部・日詰の各小学校ないしは国民学校訓導を歴任し、同二十八年以降は校長職として永井・古館・佐比内・赤沢の各小学校に勤務して同四十六年に退職されました。
高橋昌二(大正四~昭和五一)も佐比内の人。昭和十二年に岩手県師範学校を卒業後、奥中山小・大迫小・佐比内国民・上平沢国民・紫波一中・彦部中・紫波二中の訓導ないしは教諭を勤務し、次いで星山小・紫波三中の教頭に任用されましたが、昭和四十二年からは南山形小中(岩手)・古館小・紫波三中・長岡小の各学校長を歴任して同五十一年に退職されました。
森田利雄(大正八~昭和四九)は彦部の人。昭和十四年に岩手県師範学校を卒業してから佐比内小・赤石国民・円子国民(九戸)・彦部国民・彦部中・紫波一中を経て昭和三十七年には岩手紫波教育事務所の管理主事(翌年には所長補佐兼務)に登用され、次いで古館小・紫波三中・長岡小の学校長を歴任して昭和四十九年に現職のまま病没されました。


---佐藤 正雄(故人)---

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