ふるさと物語 196 『俳句をたしなむ人々(1)』 近代人物脈 (75)/紫波町

「ふるさと物語」【196】〈昭和55年11月10日発行「広報しわ」(第304)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『俳句をたしなむ人々(1)』 近代人物脈 (75)

俳諧の巨匠として、日詰の木村文吾(半水)のあったことはすでに述べたところですが、(五三年一〇月号参照)、この頃では、それ以外の俳諧人で故人になられた方々を紹介したいと思います。
まず、日詰地区からみてまいりましょう。この地は木村半水の影響を受けて俳句をたしなむ人々の多いところでしたが、それとして知られる人に沢田喜兵衛・阿部善九郎・鎌田彪・北田権七・阿部善四郎・旭田長太郎・渡辺芳庵・関直治・北田儀助・鈴木儀八・稲村善治・佐々木雲峰・八重樫某・阿部某・田村甚五郎・中野旭立・大川種次郎・村谷常八・橘豊立・山本喜兵衛・阿部啓七・阿部文太郎・木村頌太郎・北田いそ・田村さめ・馬場静・志村庄松・鎌田りわ・田村いつ・高橋与五郎・畠山万之助・村井せい・鎌田たか・横沢文次郎・藤田重次郎・寺田賢治・横沢善次郎・渡辺ひさ・内城さい・横沢せつ・野村かつ・河嶋秀次郎・横沢吉之助・佐藤政夫・大巻正一・木村雄蔵などがあります。
沢田喜兵衛(明治二五没、六〇歳)は盛岡の出身。若くから日詰町の井筒屋権右衛門店につかえましたが、後には取り立てられて同店の支配人となった人です。俳号を遅日庵芳州(別号一徳庵)と称して、この地方では木村半水に次ぐ人として知られました。盛岡市東顕寺にその句碑(我にのみきこゆるものか秋の声)があります。
阿部善九郎(明治三没、四二歳)は、新田町で酒造業を営んでいた人です。俳号は逸志。文筆にもすぐれていました。
鎌田彪(明治二二没、二八歳)は、仲町の薬種店の生まれで、後に小学校教員となった人です。幼少の時から才知にすぐれて神童のほまれが高かったといわれます。
俳句は、二十余歳ですでに一家をなすほどで、自ら主宰して『歩牛集』を発行しています。俳号を青我(別号無一物)といいました。
北田権七(明治二四没)は、習町の小櫻屋(呉服店)の店主で、俳号を笑山と称しました。
阿部善四郎(明治二五没)は、習町の櫻屋の人。明治四年に日詰町の戸長に任ぜられています。俳号を波郷といいました。
旭田長太郎(明治二七没、七一歳)は、新田町の表具師。木村半水の門下で梅旭と号しました。


---佐藤 正雄(故人)---

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