ふるさと物語 18 中野氏のことども

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

※昭和三八年一二月号及び昭和三九年一月号の「ふるさと物語」が休載のため、本メールマガジンも休載させていただきましたので悪しからずご了承願います。

「ふるさと物語」【18】〈昭和39年2月5日発行「広報しわ」(第103号)〉

中野氏のことども

本町と中野氏のゆかりは深い。
中野氏は、南部氏の一門九戸政実の弟庭実に始まる。
彼は元亀の頃、斯波氏に迎えられてその婿養子となり、今の日詰の吉兵衛舘に居住した。しかし、天正十四年には養父との間に不和が生じたため、斯波氏方を去って南部氏に仕え、中野村を給与されて中野舘に居住した。これから中野氏を称す。
天正十六年には斯波氏が没落したが、これは庭実の策によるところが多かった。
この功によって片寄村、高田村などを与えられ、かつ郡山城の城代に任ぜられた。平素は吉兵衛舘に居住して郡治を車掌ったが、別に片寄村にも今崎城という城があった。これはまもなく破却されて下屋敷だけが残された。
文禄三年四月、庭実はこの下屋敷へ二三日滞在したが、この時いとこの九戸連伊が来訪し、話合いの途中突然乱心して庭実を刺すという事件があった。庭実はこの傷がもとで死亡した。時に四十二才。葬礼は郡山の久保で行われた。
庭実の二男正康は時に十五才であったが、父が刺された直後、その場で連伊を斬って仇を討った。この勇気がかわれて、二男ながら家督相続を命ぜられた。
正康もまた郡山城代として吉兵衛舘に居住したと思われる節がある。慶長十七年には知行地の変更がありあらたに肥爪村、片寄村、高水寺村で三千百石を与えられた。寛永元年十月、花巻城において柏山命助が毒殺されるという事件があったが、この際正康もその座にあって共に毒酒を飲み死亡している。
−−佐藤 正雄(故人)−−−

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