ふるさと物語 39 赤石史話(2)

「ふるさと物語」【39】〈昭和41年08月10日発行「広報しわ」(第133)〉

広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

赤石史話(2)

赤石は全国的に有名な水不足の村であった。毎年のように干害をうけ、大正十五年のごときは八割もの減収をみるほどだった。
村は年と共に疲弊の一途をたどり、借金に追われた人々は、次々と耕地を手離して小作人に転落していった。
この対策としてとられたのが北上川からの電気揚水である。だがこれも、五年目になると樋の破損が甚だしくなってついに断念しなければならなくなった。あとに残されたのは多額の借金である。差押えが方々で行なわれ、村民の大半は破産の寸前に追いこまれた。
この危機をのりきるため、農民の陣頭に立ったのが村長の荒木田長蔵であった。彼は
この窮状をみて、もはや県の援助を求める以外に道がないと考えた。昭和七年六月、彼は一策を案じて議会にはかった。それは全農民がむしろ旗を立てて県庁に押しかけるというものであった。議会は満場一致でこれを支持した。さっそく作戦会議がはじまった。
策定された行動計画は概ね次のようであった。

  1. 決行を六月二十一日とする。
  2. 村長以下五名の陳情隊は、午前九時から知事交渉をする。
  3. 各戸一名の別動隊は徒歩で盛岡桜山神社前に集結し、九時半に行動を起して知事に面会を強要する。

当日、筋書どおりの行動が開始された。鬼知事と言われた石黒知事もこれには動ぜざるを得なかった。「石黒も男だ。期待にそうように努力しよう。」
作戦は完全に成功した。
県では三万円を補助して恒久的な揚水施設をやらせることになったのである。
同村ではこの日を干害記念日とし、同知事の筆になる「興村の碑」の記念碑を立てて後世に伝えた。
−−佐藤 正雄(故人)−−−

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