ふるさと物語 59 『松野琴斉』江戸時代の人々(10)

「ふるさと物語」【59】〈昭和44年3月10日発行「広報しわ」(第164)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『松野琴斉』江戸時代の人々(10)

琴斉(きんさい)は、文政二年(1819)八月一日、上平沢村の商人松野屋久治の二男として生まれました。
少年のころ、下土舘村の佐藤五郎七について学問を修めましたが数年にして学業は群を抜き、やがて師匠の代行をつとめるほどになりました。
そして、十七歳の時には、上平沢村有志の懇請を受けて家塾を開設し、以来、四十年にわたって村の師弟教育に当たりました。
また、この間に、同村の村井義同に師事して俳諧を学び、松毬舎(しょうきゅうしゃ)又は香月楼と称してこの道でも傑出するところがありました。明治十九年五月、六十八歳で歿。
黒岩川右衛門 右衛門は紫野村の産。盛岡藩のお抱え力士として江戸相撲で活躍した人で、最高地位は大関とも小結ともいわれています。
彼にも力士につきものの怪力伝説があります。
すなわち、江戸の贔屓(ひいき)備前屋権兵衛の煤(すす)払いの時、畳十二枚を一度に二階へ差上げたと伝えられるし、藩主に対して、米俵に筆を結びつけて文字を書くなどのことをしてご覧に入れたため、褒美として掛軸一幅を賜ったともいわれています。天明七年(1787)八月歿。
ほかの人々 今までに述べたのほかに、藩政後期の民間教育者としては、北日詰の岩動英諄、郡山下町の菊池道仙、日詰の木村文吾、南伝法寺の高木法樹、下土舘の佐藤五郎七、鷹觜平次郎、上平沢の竹内速明、片寄の羽生理兵衛、佐比内の石杜宗仙、松坂与三治、太田叶右衛門、彦部の石ヶ森教山、川村新助、大巻の梅木了恵、星山の小野文碩、犬吠森の上田忠作、西長岡の吉田良寿、栃内の横沢久太、栃内竹水遠山の遠山恵道、黒田哲宗、北田堀田の沢の孫左衛門、赤沢の荒屋敷惣助、行人平正源、菰包金平、曾畑某、山屋の夏梨作右衛門。
医師としては、郡山の室岡氏、木村氏、高橋市、菊池氏、片寄の細川氏、上平沢の岩泉氏、渡辺氏、星山の小野氏、西長岡の吉田氏、佐比内の石杜氏。
俳人としては、日詰の木村半水、上平沢の村井義堂、松岡了存、佐比内の石杜正円。
植物採集家としては、下松本の須川長之助などがあるが、これらの事跡については近く発行される予定の『紫波町史』にゆずってこの人物脈を一応とじることにしよう。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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