ふるさと物語 71 『豆切丸』昔話と伝説(2)

「ふるさと物語」【71】〈昭和45年3月10日発行「広報しわ」(第176)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『豆切丸』昔話と伝説(2)

東長岡字細工田に鉈屋敷という家があります。
昔、長岡館に殿様がおったころは、この家は鍛治屋をやっていたそうです。
その近くに、五右衛門といううすのろの若者が住んでいました。
ある日、五右衛門は、山へ薪とりに行っての帰りみち、この鍛治屋の前に立ちどまって、鍛治の仕事をおもしろそうにながめていました。そのうちに、何を思ったのか、鉈を一挺つくってほしいといいました。鍛治屋の主人は、つくってやるから薪と取りかえよう、といいました。五右衛門は喜んで薪を置いて帰りました。
翌日、五右衛門は鍛治屋にやってきました。ところが、鍛治屋の主人は、もう少し薪をもってきてくれといいました。五右衛門は承知して、この日もまた薪を置いて帰りました。
それからというもの、五右衛門は毎日毎日鍛治屋をたずねましたが、そのたびにもう少し薪をもってきてくれ、というだけで、約束の鉈を渡してはくれません。そこで五右衛門は、いわれるままに根気よく薪を運び続けました。
こうして、いつのまにか三年と三ヵ月の年月がたってしまいました。そして、ついに一挺の鉈ができあがりました。これを受け取った五右衛門は、大喜びで毎日腰に下げてあるきました。
ある日のこと、五右衛門は、長岡館の殿様に年貢の豆を納めるためにでかけましたが、袋にあながあいていたため、途中で豆がこぼれはじめました。ところがこの豆が鉈の刃にあたるたびに、豆はまっ二つに切られて落ちていきました。
あとからついていった一人の武士が、この見事な切れ味にびっくりしてこのことを殿様に申上げました。殿様は、さっそくこの鉈を取り上げ、豆切丸と名づけて宝物にしたということです。
これから、その鍛治屋のことを鉈屋敷とよぶようになったといわれています。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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