【文化財】【紫波町の指定文化財】【紫波町指定文化財】高水寺城跡/紫波町

高水寺城跡/紫波町
高水寺城跡

指定区分

紫波町指定史跡

指定年月日

昭和50年(1975)3月25日

所在地

岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘

解説

北上川右岸の独立丘陵に位置し、東西550m、南北700mに及ぶ平山城です。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも登場する当地方の古刹、高水寺の寺域の一部を足利家に通じる名門斯波氏が南北朝期に城館として整備・造営したことにはじまると言われています。
250年余りの間、高水寺斯波氏(※)の中心拠点として発展しましたが、天正十六年(1588)、斯波詮直は家臣の反乱に遭い南部信直に敗れます。ほぼ無抵抗のうちに陥落した高水寺城は天正十九年(1591)「郡山城」と改称され、盛岡城完成まで南部氏の居城としても使われ改修も行われましたが、寛文七年(1667)に破却されます。
破却以降の旧城域の用途は明らかではないものの、城下には盛岡藩の代官所や御蔵、川港が置かれ地方支配の中心として発展しました。奥州街道が整備されると、宿駅としてもにぎわい、井筒屋・美濃屋・伊勢屋などの外来商人の経済活動が盛んとなりました。
本丸の石垣は、弘化三年(1847)38代藩主、南部利済によって郡山古城東側に架設された承慶橋建設に用いられたといわれています。

昭和3年、陸軍特別大演習時の昭和天皇行幸を記念して地元古館村青年会によって桜の植樹が行われ、桜の名所としても親しまれています。昭和40年、都市公園法による指定をうけ総合公園「城山公園」として整備され、昭和50年紫波町指定史跡に指定、町民憩いの場として今に至ります。
最頂部は標高180mを測り、北上川中流域を一望できます。本丸を中心に、若殿屋敷(二ノ丸)、姫御殿、右京屋敷、台所屋敷など、蓮弁状に連なる郭や城域に巡らされた空堀が現在も残されています。
城域内には、高水寺に由来をもつ木造十一面観音立像(平安後期)や嘉元三年(1305)銘の板碑があり、城館以前の寺域の名残を示しています。

 

※高水寺斯波氏
鎌倉時代中頃、足利家氏は斯波郡を所領とし、その子孫が「斯波氏」を称しました。斯波氏は足利一門筆頭の家格とされ、有力な守護大名でした。高水寺城を拠点とした一族は高水寺斯波氏と呼ばれています。

承慶橋の中島

北上川に残る承慶橋の中島

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岩手県紫波郡

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